「正解」を求めがちな日本人が、美術から学ぶべきこと。

なぜ日本人は、物事に「正解」を求めてしまうのでしょうか?
今回は、美術に興味のあるわたしが、先日参加した「対話型鑑賞」の場で目にした光景から、「日本の教育の課題」と「これから私達がどうあるべきなのか」を垣間見た、というお話です。

こんにちは!さらです。

先日わたしは、「対話型鑑賞」というものを体験しました。

「対話型鑑賞」とは、1つの美術作品を前にみんなで議論していくものです。

今回は、その体験を通して、わたしなりに考えたことをみなさんにシェアしたいと思います。

日本人は「正解」を求めがちな人種?

日本では、古くからIRE型の教育がとられてきたと言われています。

IREとは、
Initiation (開始)
Reply (応答)
Evaluation (評価)
の3つの頭文字を取った言葉です。

例えば、ごく当たり前の学校での光景・・・

「先生が出題した問題に対して生徒が回答を出し、それに先生が点数をつける」というものがIRE型の教育に該当します。

先生が問題を出す →Initiation (開始)
生徒が回答を出す →Reply (応答)
先生が点数をつける→Evaluation (評価)

そもそもこの教育にある前提は、「答えはたった1つ」であり、「それにたどり着けるか・たどり着けないかで判断する」ということ。

つまり、「知っている人」から「知らない人」へと知識や技術を伝授していくのが、教育の役割だったわけです。

ファシリテーターの答えからの気づき

今回、わたしが参加したのは「対話型鑑賞」のためのワークショップです。

もともと美術が大好きだったので、興味を持って参加しました。

このワークショップは、ファシリテーター(進行役)が1枚の絵を見せるところから始まります。そして、その絵について、参加者全員が議論し合うのです。

この絵は「いつ」「どこで」書かれたものか?
この絵には何が書かれているのか?
この絵はどんなことを伝えようとしているのか?

年齢や肩書きを超えて、色々な価値観を持った人が、対話をしていきました。

わたしが印象的だったのは、一通り議論が終わった後の、ある男性とファシリテーターとの間の会話です。

その男性は、シビレを切らしたように、こう訊いたのです。

「で、結局、正解はなんなのですか?」

それに対し、ファシリテーターはこう答えました。

「この絵画に、1つの正解などありません。たしかに、作者が絵に込めた想いなどはあるかもしれません。でもそれは解答例の1つに過ぎない。皆さんが考えたこと、それも答えなのです。」

わたしは、この光景のなかにこそ、「日本の教育の課題」と「これから私達がどうあるべきなのか」が示されているのではないかと思ったのです。

今回の経験で学んだこと

わたしたちは、これまで受けてきた教育によって、いわば当たり前のように「誰かがすでに知っているただ1つの正解」にたどり着くことが“良し”と考えているように思います。

現にわたしも、「で、結局答えは?」と、よく考えてしまいます。

でも、世界は「正解」のあるものだけではないし、むしろ「正解」のないものの方が多いのかもしれません。

その中で、思考停止状態で安易に「正解」を求めるよりも、自分なりの「正解」を自力で導き出すことが、必要なのだと思います。

今回は、対話型の美術鑑賞から学んだ日本人としての在り方について、わたしなりに考えてみました。

この記事が、みなさんの「正解」との向き合い方について考える、ひとつのきっかけになれば嬉しいです!

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さら

東京都出身、慶應義塾大学総合政策学部に通う1年生。大学では経営やデザインを学ぶかたわら、ビジコンに参加したりプログラミングのレッスンを受けたりと、幅広い領域に手を出している。ライティングは、学びのアウトプット。
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